ゲモソボに救われている

ゲモソボは、私の人生であった。

 

今更説明するまでもないだろうが、ゲモソボとはその名の通りゲモを丸めてヒョエ〜するスポーツである。

私は物心付く頃には何故かゲモを丸めていたし、中高では部活に入らず近所のクラブチームのようなものでゲモソボをする日々を送っていた。とはいえ生まれつき不器用な私はこれといった結果を残すことは無かったし、あえて表彰台に登りたいとも思っていなかった。それは私以外のチームメイトにも言えることで、つまるところ弱小チームだったのである。それでも、誰に言われるでもなく、私たちは鐘の鳴る頃には駆け足で体育館に集まるのが当然であった。何を隠そう、私達にはゲモソボしかなかったのだ。

私たちの中に、三木という男がいた。彼はチーム1,2を争うゲモソボの腕前で、中でもヒョエ〜半ひねりとチャバゴにかけては右に出る者はいなかった。細身のいささか頼りない出で立ちの彼は、いつも借りてきたような言葉を繰り返した。当然早口。「魔剤ンゴ!?w」しか言わなくなってしまった時は、とうとう壊れてしまったか、これでは会話にならないと皆呆れていたものだが、彼の口癖の移り変わりは速く、1週間もすれば違う言葉を連呼していた。それもそれでうっとおしいのだが。

そんな彼はたびたび気分が良くなると、「ゲモソボは人生」という訳のわからない言葉を口にしては皆の笑いものになっていた。「またネットにでも影響されたか?」度が過ぎる誇張を小馬鹿にしながらも、私たちはその言葉に心地良さを覚えていた。

 

 

そんな日常は、突然終わりを迎えた。

世界ランキング1位、ゲモソボプレイヤーなら誰もが知るところである鍾乳洞食べ男(芸名)の頭が爆発した。

ゲモソボ中に、突発的に爆発したのである。当然鍾乳洞は即死。

原因不明の事件は世界的なニュースとなり、ゲモソボに明るくない人々にも強い衝撃を与えた。クラスの隅に座っていても、いままで体育館でしか耳にすることの無かったゲモソボという文字列が飛び交っているのがわかる。そのことが酷く不快だった。

暫くして、頭の爆発はゲモソボが原因であることがわかった、正しくは「そう」であるとWHOから正式に発表された。テレビでは髭を蓄えた、偉そうなオジサンがゲモソボと爆発の関係を解説しているのをよく目にするようになった。誰かが考えたような理屈をこね回し、ゲモソボをこき下ろすのである。私はテレビ越しの、偉そうなソイツを「そんなにお前は偉いのか」と怒鳴りつけてやりたかった。

時を待たずして体育館は閉鎖された。私は起きていることが理解出来なかった。自分の全てが奪われたような気がしていた。学校にも行かず、誰もいない体育館の前で立ち尽くす時間が増えた。時々体育館の門には、チームメイトも来ていたが、あまり話す気にはなれなかったし、話したいこともなかった。

その後も私はゲモソボができる場所を探した。人目を忍んでやるようなクラブは幾つかあったが、どれもがヤクザが絡んでいるのか法外な料金であり、高校生の私には到底払えなかった。

 

 

 

あれから10年が経った。

私は、普通に暮らしている。

私にとって、ゲモソボは人生ではなかった。

慣れというのは不思議なもので、ゲモソボのことを考える時間は、あれから1年もせずにほぼ無くなっていたのだ。

大人になり、ゲモソボと爆発の関係も、詳しいことを除けば理解出来るようになった。どうやらゲモをヒョエ〜する動作により脳の中でミクロ規模の爆発が引き起こされ、最悪の場合爆発が連鎖し目に見える爆発が起こる。そうでなくても小規模の爆発は少しずつ脳に悪影響を及ぼすらしい。あの事件以来のゲモソボを蔑むような風潮も、妥当だったということであろう。

そう考えると、色んなことが腑に落ちた。私を含め、チームメイトは皆勉強が出来なかったし、なんだかひねくれた奴も多かった。それもこれも全て頭が爆発していたからだったのだ。

 

少年時代を頭を爆発させながら過ごした私は、当然仕事でも上手くいかないことが多い。かくいう今日も取引先の名前を間違え、商談をふいにしてしまったばかりである。上司が私をなじる声が聞こえる。

「このバカがまたやらかしやがってよ」

こういう時、居酒屋が酒を呑む場所であるというのはよく出来ているなと思う。頭がぼんやりして、このハゲたオッサンの話を真面目に聴かなくて済むのだ。

それにしても今日は疲れた。ここのところ失敗が続いているからだろうか。私の毎日にはこの声のデカい馬鹿に怒られるか、怒られないかという違いしかない。その最悪の二択の中で、より酷い方が連続しているのだから辟易するのも当然というものである。

「おい聞いてんのか?」

誰かが大声を出している。ひどく不快なので無心でビールを流し込み続けた。

 

「大丈夫ですか?」

立ち上がろうとすると、目に入るのは舗道の灰色であった。どうやら道端で寝こけていたらしい。あの後酔いつぶれて飲み屋に独り残され、仕方なく全員分のお題を払ってからの記憶が無い。

視線を上げる。朧気にしか見えないが、声をかけてきたのはどこかで見たような細身の男であった。

「三木!?」

思わずそう叫ぶと、男はなにがなんだかわからないという様子である。視界が徐々に戻ってくる。あまり似ていない気もしてきた。

「すみません、昔の知り合いに似ていたもので、ありがとうございます。起こしていただいて」

「道の真ん中で倒れてましたから。良かったら駅まで送りましょうか?」

三木に似ていると見せかけてあまり似ていない男の厚意に甘え、駅まで歩く。三木とは対称的に無口なのか、お互い無言で歩いていると、男が突然口を開いた。

 

「ゲモソボされてたんですか?」

 

「え?」

思わず聞き返す。

この言葉を聞いたのはいつぶりだろうか。少なくとも3年は人の口から聞くことはなかったように思う。酔って夢でも見ているのではないか。

「ゲモソボしてた人って右の親指が少し長い人が多いんです。貴方ももしかしたらそうかなって。不快だったらすみません」

「……ってました」

「やってました!ゲモソボ!」

気づけば子供のように叫んでいた。

 

公園で錆びかけたブランコを漕ぎながら、彼と話していた。どのくらい話したかはわからないが、気がつけば日が登っていた。ゲモソボについて久しぶりに話すのが楽しくて、時間を忘れてしまったのかもしれない。

いろんなことを話した。左利きのプレイヤーの右ヒョエ〜は対処が難しいとか、ゲモソボ強い奴は頭のネジが外れたやつが多いとか、ゲモを食べる一発芸を必ず誰かがやるとか、たわいもない話をした。

話題が途切れ、少しの沈黙が訪れる。

「でも、出来なくなっちゃったんですよね」

気がつけば私は口を開いていた。

「鍾乳洞選手の事件の後、ゲモソボ出来なくなっちゃって」

私は相手の返事も待たずにつらつらと当時のことを話した。受け入れられず閉鎖された体育館に通ったこと。どこかでゲモソボができないか県中を探して回ったこと。ひたすら泣いたこと。ゲモソボが好きで好きで仕方がなかった少年の話を、誰かに聞いて欲しかった。自慢したかったのかもしれない。

男は何も言わずに聞いていた。あれだけ悔しかったはずなのに、私は気がつけば笑顔になっていた。話すうちに、誇らしい気にさえなった。

 

 

ブランコの上で朝日に照らされ、目を覚ます。気づけば朝になっていた。男の姿はない。

腕時計を見ながら呟く。

 

「会社行かなきゃ」

 

公園から会社までの道で、少し長い右の親指を見ながら、思う。

確かにゲモソボをすると、頭が爆発するのだろう。

それでも、ゲモソボをしていた私を、私は好きだと思える。

私は、ゲモソボをやっていた頃の自分に、救われている。悔しくて走り回った過去の自分に、救われている。

であるならば、公園から会社に向かう今の私も、いつかの私を救うのかもしれない。その私は、笑顔で上司の話をしていたりするかもしれない。などとくだらない妄想をしてみる。

 

 

最後の信号を渡り、さいごまで誇張たっぷりの、あいつの言葉を思い出す。

ゲモソボで泣いた私も、ボロボロの格好で会社に向かう私も、他のいつかの私も同じ私なら、あいつもちょっとだけ正しいのかもしれない。

 

ゲモソボは、私の人生である。